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大阪高等裁判所 昭和41年(う)378号 判決 1966年11月04日

被告人 嶋田幸司

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

但し本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。

原審並びに当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、和歌山地方検察庁検察官検事中道武次作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人多屋弘、同中村善胤連名作成の答弁書に記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

控訴趣意中事実誤認の主張について

論旨は要するに、原判決が被告人の殺意を認めず、かつ被告人の行為を過剰防衛と認定したのは事実の誤認であるというのである。

よつて所論にかんがみ記録を精査し、原審において取り調べたすべての証拠に、当審における事実取調の結果を参酌して考察すると、被告人は、原判示日時、原判示上野公園で花見酒を飲み、同日午後五時半過帰宅のため同公園出入口附近でタクシーに乗車しようとした際、酒気を帯びた原判示児島慧(当二三年)が、被告人に、泥酔している田中勉を一緒に連れて帰つてやれとしつこく言うのを断つたために口論となり、激昂した児島は、いきなり被告人の頭部を手拳で一回殴打し、被告人も「何するんか、チンピラのくせしやがつて」と言つて殴りかかるというような応酬があり、その場は友人らの仲裁により一応収まりかけたが、被告人としては、原判示のような児島の人物、性格、前歴などから考えて、事態はこのままでは済まないものと案じ、原判示のとおり、公園中腹にある売店にかけつけ、一一〇番で有田警察署に救助を求めた後再び前記の公園出入口附近にもどりかけたが、その途中で、同所附近に多数の人々が集まつているのを見かけるや、右児島及びその連れが被告人の友人らと喧嘩をしているものと速断し、児島らから攻撃を受けるようなときに備え、その防禦のために、割木のようなものを捜し求めて右売店に引き返し、同店内でたまたま目にとまつた原判示の刃渡り約一五、五センチの出刃包丁を護身ないし威嚇のために腹巻に納めて、再び同公園入口に降りてきたところ、そこではすでに何の争いもなかつたが、被告人を捜し求めていた右児島は、早速被告人をつかまえて、チンピラと言つたことについての謝罪を迫り、ことを穏便に済ませたいと思つていた被告人は、これに逆らわず、強要されるままにひたすら陳謝し、同人の気持の穏和に努めたが、同人はこれを聞き入れず、他方同人の友人も止めにはいつたが、これにも従わず、被告人の胸倉をつかまえて同所から約五〇メートル東方まで強引に連行し、同所で二、三回腰投げで投げ飛ばすなどの暴行を加え、被告人がこれでこらえてくれと言うのに対し、なおも執ように皆の前での謝罪を要求し、同所にかけつけた友人の制止にも耳をかさず、再び被告人を公園出入口附近のコンクリート造りの橋の上まで連れもどし、同所に集つた十数人の面前において謝罪を強要し、これに応じた被告人が立つたまま「すまなんだ」と言つて頭を下げたのに対し、児島は「そんなあやまり方があるか」と難詰したうえ、被告人の首筋をつかんで地面に押しつけ、小川に転落させかねない勢を示したので、被告人は、処置に窮し、「どうにでもしてくれ」と言つて、膝をかかえたかつこうで地面にすわりこんだところ、一旦は友人らに制止されていた児島は、さらに激昂し、右制止をも振り切つて「いてしもたる」と怒号しながらこぶしを振り上げて被告人に襲いかかつたのに対し、被告人は、とつさに前記出刃包丁を右手に持つて、前方から襲いかかつてくる右児島に対し、立ち上りざま力一杯同人の頸部を一回突き刺し、因つて同人に原判示頸動脈切断等の傷害を負わせ、同傷害による失血のため原判示日時、原判示場所において死亡するに至らせたものであることが認められる。そこで被告人の右行為が過剰防衛行為に当るかいなかについて判断するに、まず被告人の行為を客観的に考察すれば、それが急迫不正の侵害に対する防禦行為というべきことは明らかである。すなわち、被告人と児島との間のやり取りにおいて、当初は、被告人もチンピラうんぬんの言辞をはき、あるいは児島の攻撃に対してこれを殴り返そうとしたものではあるが、その際は、前記のように友人の仲裁によつて一応納まりかけたものであり、その後は、被告人の前記加害行為に至るまでの間、被告人は、児島に対する陳謝に終始し、同人の一方的な攻撃を受けていたものであることは前記のとおりであり、少なくとも前記コンクリート橋附近においては、すでにいわゆる喧嘩闘争の状況にはなかつたのであつて、友人らの再三の制止にもかかわらず、これを振り切つて被告人を攻撃しようとした児島の行為が急迫不正の侵害に当ることは明らかであり、これに対抗してなされた被告人の攻撃が、客観的にみて、自己の権利を防衛するための行為と目すべきものであることはいうまでもない。もつとも被告人があらかじめ出刃包丁を携帯していた事実はあるが、これがもともと防衛目的のためのものであることは、まず一一〇番により警察署に電話していることや、児島の前記のように執ような攻撃の間に一度もこれを手にしていないことによつても認めうるところである。所論は、被告人は、児島の侵害行為を予測し、これに対抗する目的であらかじめ喧嘩道具として出刃包丁を所持し、かつ、逃避も可能であつたにもかかわらず、あえて無手である児島に対抗し、出刃包丁で同人の頸部を突き刺したものであつて、本件犯行当時の状況は、過剰防衛行為を認めるための前提である正当防衛の成立するばあいに該当しない旨主張する。しかしながら、将来の侵害を予想して防衛の準備をした上での行為であり、また逃避することが客観的に可能であつたということだけでは、正当防衛の成立を妨げるものではなく、正当防衛の成否については、侵害予測後の行動、逃避の難易及び加害当時における諸般の事情をも総合して判断さるべきものであるところ、まず逃避の難易について判断するに、前記上野公園から市街地に出るには、通常原判示の経路のみが使用されており、当審証人児島源之助の証言する前記売店の上あたりから反対方向に同市古江見に通ずる道については、一般には余り知られておらず、他部落に住む被告人もこれを知らなかつた(被告人の原審並びに当審における各供述)ことが認められ、また児島は被告人に対して継続して攻撃を加えており、かつ当審における被告人並びに証人島田博紀の各供述によれば、被告人の連れは四、五名、児島の連れが十数名で、その間にも若干の小ぜり合いが行われていたことが認められるから、逃避が容易であつたとはいえない。次に侵害を予想してあらかじめ包丁を用意した点についても、単なる防衛目的ではなく積極的に反撃を加える目的で兇器を準備し、相手方の攻撃を待ち構えているようなばあいは、これに対する侵害行為をもつて急迫のものといえないことは当然であるが、本件においては、被告人は、公園の出入口附近で児島らと出会し同人から攻撃を受けることを予想し、防衛目的のために右の出刃包丁を準備したものであることは前記のとおりであり、しかも児島の執ような攻撃に対してもこれを取り出さずに隠忍自重しており、被告人としてもこれほどまでに執ような攻撃を加えてくるとは予想しなかつたと思われるのであつて、検察官所論のような喧嘩闘争のために兇器を準備したものとは認められない。従つていずれも正当防衛の成立を妨げるものではない。逃避の可能性に関する所論指摘の最高裁判所判例(昭和三三年二月二四日第二小法廷判決)は、逃避が容易であり、しかも防衛のためにしたものではなく、かつ已むことを得ざるに出たものでないことを前提として、正当防衛ないし過剰防衛は成立しない旨を述べているに過ぎないのであつて、本件には適切でない。そして、権利防衛についての被告人の主観的な意思については、前記のような被告人の加害行為に至るまでの状況、被告人の警察、検察庁における各供述調書並びに原審及び当審における各供述を総合して考察すると、被告人は、検察官所論のような憤激の情と原判示の本能的な防衛意思とが相合して加害行為に及んだものと認めるのが相当であり、右のように急迫不正の侵害によつて追い詰められた者に憤激の情が併存したからといつて、防衛意思の存在を否定する事由となるものでないことはいうまでもない。以上いずれの点からみても本件は、本来正当防衛の成立しうべきばあいにあたるものというべく、論旨は理由がない。

そこで、殺意の点について判断するに、被告人に確定的な殺意の認められないことは、原判決が詳細に摘示したとおりであるが、被告人にはいわゆる未必の殺意もなかつたかどうかという点について、原判決は、被告人の加害行為をもつて、自己保存本能に基づく衝動的行為であるとして、被告人の未必の殺意をも否定しているけれども、被告人が本件行為に出るに至つた心情中には、前記のとおり児島の攻撃に対する本能的な防衛意思と共に、それまでの同人の異状と思われる執ような問詰及び暴行をこらえにこらえた憤激の情が入りまじつているのであつて、このことは、被告人の司法警察員に対する昭和四〇年四月一二日付供述調書中の「私としては辛棒のできるだけしてきたのですが堪忍袋の緒が切れて」同じく同年同月一五日付供述調書、検察官に対する供述調書(二通)中の「腹の中は煮えくり返つていた」旨の各供述記載、被告人の原審における「そらまあ腹立つたのは、腹立つたんですわ、」との供述によつても明らかであつて、右のような本件兇器使用の際における被告人の心情、前記兇器の種類、形状、傷害の部位、程度及び被告人が防衛目的で用意した出刃包丁を最後の瞬間まで取り出さずにこらえていたのも、このような刃物を使用することによる結果の重大性を意識したためであると認められること(被告人の司法警察員に対する昭和四〇年四月一二日付及び同月一五日付各供述調書)などを総合すれば、被告人に未必の殺意があつたことを認めるに十分である。そして、未必の殺意による過剰防衛を認めることは決して不当でない。従つて、被告人には未必の殺意も認められないとして、被告人を傷害致死罪によつて処断した原判決には事実の誤認があり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れない。この点において論旨は理由がある。

よつて量刑不当の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い当裁判所においてさらに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、本籍地の辰ケ浜高等小学校を卒業後、同地で漁業を営んでいたものであるが、昭和四〇年四月一一日沖が荒れたので出漁を休み、同日午後四時頃友人らと和歌山県有田市古江見無縁山境内の上野公園に行き花見酒(酒コツプ三、四杯、ビール同二ないし四杯)を飲み、同日午後五時半過頃、帰宅のため同公園出入口附近でタクシーに乗車しようとした際、酒気を帯びた同部落の児島慧(当二三年)が、被告人に対して泥酔している田中勉を一緒に連れて帰つてやれとしつこく言うのを断つたために口論となり、激昂した児島は、いきなり被告人の頭部を手拳で一回殴打し、被告人も「何するんか、チンピラのくせしやがつて」と言つて殴りかかるというような応酬があり、その場は友人らの仲裁により一応収まりかけたが、被告人としては、右児島は酒癖が悪く、酒気を帯びるとその性格が一変して粗暴なふるまいに及び、これまでにも傷害の前科を重ね、同部落においては畏怖嫌悪されている人物であることを熟知していたので、事態はこのままでは済まないものと案じ、同所より約一四〇メートル南上方の同公園中腹にある売店にかけつけ、一一〇番で有田警察署に救助を求めた後再び前記の公園出入口附近にもどりかけたが、その途中で同所附近に多数の人々が集まつているのを見かけるや、右児島及びその連れが被告人の友人らと喧嘩しているものと速断し、児島らから攻撃を受けるようなときに備え、その防禦のために、割木のようなものを探し求めて右売店に引き返し、同店内でたまたま目にとまつた刃渡り約一五、五センチの出刃包丁(昭和四〇年押第六七号の1)を護身ないし威嚇のために腹巻に納めて、再び同公園入口に降りてきたところ、そこではすでに何の争いもなかつたが、被告人を探し求めていた右児島は、早速被告人をつかまえて、チンピラと言つたことについての謝罪を迫り、ことを穏便に済ませたいと思つていた被告人はこれに逆らわず、強要されるままに、ひたすら陳謝し、同人の気持の緩和に努めたが、同人はこれを聞き入れず、他方同人の友人も止めに入つたが、これにも従わず、被告人の胸倉をつかまえて同所から約五〇メートル東方まで強引に連行し、同所で二、三回腰投げで投げ飛ばすなどの暴行を加え、被告人がこれでこらえてくれと言うのに対し、なおも執ように皆の前での謝罪を要求し、同所にかけつけた友人の制止にも耳をかさず、再び被告人を公園出入口附近のコンクリート造りの橋の上まで連れもどし、同所に集つた十数人の面前において謝罪を強要し、これに応じた被告人が立つたまま「すまなんだ」と言つて頭を下げたのに対し、児島は「そんな謝り方があるか」と難詰したうえ、被告人の首筋をつかんで地面に押しつけ、小川に転落させかねない勢を示したので、被告人は、処置に窮し「どうにでもしてくれ」と言つて、膝をかかえたかつこうで地面にすわりこんだところ、一旦は友人らに制止されていた児島は、さらに激昂し、右制止をも振り切つて「いてしもたる」と怒号しながら、こぶしを振り上げて被告人に襲いかかつたのに対し、被告人はとつさに身の危険を感ずるとともに、それまでの執ような児島の攻撃態度にも押えていた怒りが一時に爆発し、右児島からの急迫不正の侵害に対し自己の権利を防衛する目的と、右憤激の情とがからみ合い、殺意をもつて、とつさに前記出刃包丁を右手に持ち、前方から襲いかかつてくる右児島に対し立ち上りざま力一杯同人の頸部を一回突き刺し、因つて同人に左頸部、気管各刺創及び頸動脈切断の傷害を負わせ、右傷害による失血のため同日午後六時一〇分頃同市箕島二五九番地竹中胃腸科医院において死亡するに至らせたものであるが、被告人の右の行為は、急迫不正の侵害に対し自己の権利を防衛するためやむを得ず行つたもので、防衛の程度を超えたものである。

(証拠の標目)

当裁判所の検証調書、証人児島博紀の尋問調書のほか原判決挙示の各証拠を引用する。

(法令の適用)

被告人の判示行為は刑法一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を懲役三年に処し、情状について考えるに、理由はともあれ一瞬にして尊い人命を奪つた本件結果はまことに重大であり、自己防衛のためとはいえ、殺意をもつて本件行為に及んだ被告人の罪責は重いといわなければならないが、反面本件犯行の原因は被害者児島の言動であつて、その暴状は目に余るものがあり、若年の児島からこのような仕打を受けながら最後の瞬間までこれをこらえて陳謝を続けていた被告人の心情は十分に諒とすることができるのであつて、本件犯行は前記判示のとおり過剰防衛行為であること、被告人は犯行後直ちに自首していること、被告人にはこれまで漁業取締規則等の違反により罰金刑を受けたことがあるほか犯歴はなく、身体傷害者である実兄を助けて勤勉に漁業にいそしみ、自己及び実兄の家族の支柱として稼動してきたものであること、被告人は、漁業を行うものとして最も大切な船舶についての権利を処分して、慰藉料二〇万円及び香奠三万円を提供し、家族と共に被害者の遺族に対し可能な限りの礼を尽してその慰藉に努めていること、被告人の勾留は八ケ月余にわたり、すでに拘禁生活による精神的、肉体的苦痛を味わつていること、被告人は、原審において執行猶予の判決を得て後も、深く前非を悔いひたすらに被害者の冥福を祈つており、改悛の情は顕著であることその他被告人の家庭の事情など諸般の情状を考慮すると、被告人を今直ちに実刑に処するよりは、その刑の執行を猶予し、更生の機会を与えるのが相当と認められるので、刑法二五条一項を適用して主文第三項のとおり右刑の執行を猶予することとし、原審並びに当審における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。

(裁判官 山崎薫 浅野芳朗 大政正一)

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